院長コラム

Director Column

『鹿児島市医報』~リレー随筆~

 「あなたの趣味は何ですか?」と聞かれたら、私は迷わず「野球です。」と答えます。小学校低学年のときに高校野球好きの祖父にグローブを買ってもらって以来、中学・高校時代は草野球を楽しみ、大学時代は入学式当日に準硬式野球部に入部して、「医学部野球学科」を卒業しました。医師になってからも勤務先の野球部に所属して、“現役”の野球選手としてがんばっておりましたが、9年前に鹿児島に戻ってきてからは野球をすることはなくなり、もっぱら観戦専門となってしまいました。“選手”としてかかわることはなくなっても、私にとって「野球」とはとても大切なものです。今回、重信恵三先生より鹿児島市医師会報のリレー随筆の執筆の依頼を受け、私にとって大切な「野球」について思いつくままに書いてみようと思います。
 

高校野球 万歳!!

今年の夏、第90回全国高校野球選手権大会を記念して、朝日新聞社より“週刊 甲子園の夏”という第1回大会から第90回大会までの軌跡をたどる雑誌が発行されました。それを読んでいると、高校野球のすばらしさが改めて実感され、かなり以前に観たはずの試合がつい最近の試合のように思い出されました。その中で、“読者が選ぶ思い出の名勝負”というコーナーがあり、読者の投票によって名勝負を選んでいるのですが、選ばれた試合は合計124試合もあり、人それぞれに思い出の試合というものがあることがわかります。ちなみにベスト3は、第3位(93票)が1969年第51回大会決勝の松山商対三沢(松山商井上、三沢大田の投げ合いで延長18回0対0引き分け再試合となり、4対2で松山商が優勝)、第2位(96票)が1998年第80回大会準々決勝の横浜対PL学園(松坂を擁する横浜とPL学園が延長17回の激闘を演じ、9対7で横浜が勝利)、そして第1位(116票)は1979年第61回大会3回戦の箕島対星稜(1対1で延長戦に突入し、先攻の星稜が12回と16回に1点を入れるも、そのたびに箕島は2アウト走者なしからのホームランで同点に追いつき、再試合直前の18回裏に箕島がサヨナラ勝ち。“神様が創った”といわれるほどの壮絶な試合)でした。“ハンカチ王子”斉藤佑樹と“マー君”田中将大の歴史に残る投げ合いとなった2006年第88回大会決勝早稲田実対駒大苫小牧は惜しくも第4位(35票)でした。
 
  では、私の選ぶ名勝負はどの試合かというと、次の2試合を挙げたいと思います。まずは1974年第56回大会準々決勝の鹿児島実対東海大相模です。鹿児島実には定岡正二、東海大相模には原辰徳がおり、3時間38分の手に汗握る大激戦となった試合です。当時小学5年生だった私は、テレビの前に座り込み、必死に鹿児島実を応援していました。1回裏、東海大相模に2点を先制されたものの、2回表に鹿児島実は3点を入れて逆転し、その後は定岡の好投で1点のリードを守っていましたが、9回裏に同点に追いつかれてしまいます。そして12回裏に奇跡的なプレーが鹿児島実を救います。2アウト2塁、一打サヨナラの場面で、東海大相模の打球は2塁手中村孝の頭上を越えるライナー性の打球。誰もがライト前ヒットでサヨナラ負けと思った瞬間、中村選手が懸命に背走してジャンプ一番、ダイビング・キャッチする超ファインプレー。いまでもその瞬間が脳裏に焼きついています。それほどすばらしいプレーでした。このプレーを境に流れは鹿児島実へと傾き、15回表に1点を勝ち越し5対4で勝利しました。この試合によって初めて鹿児島の野球を全国にアピールすることができ、久保監督は後に「あのときから全国を意識するようになった」とおっしゃっています。鹿児島の高校野球界にとっては歴史的な勝利だったと思います。
 
  次に私が挙げたい試合は1996年第78回大会決勝の松山商対熊本工です。この試合は私に“野球の神様って、本当にいるんだなぁ”“努力しているといつかは報われるんだなぁ”と思わせてくれたナイスゲームでした。この試合の主人公は松山商の矢野勝嗣外野手と澤田勝彦監督。松山商が初回に3点を先制し、3対2と1点リードで9回裏2死ランナーなし、熊本工万事休すかと思われたとき、1年生の澤村選手が起死回生の同点ホームランを放ち、試合を振り出しに戻したところから試合が動き始めます。流れは完全に熊本工に傾き、2回以降無得点の松山商は10回表もゼロ行進。10回裏、熊本工の先頭打者8番星子選手が二塁打で出塁すると、松山商澤田監督は先発の新田投手とライトを守っていたエースナンバーの渡辺投手をスイッチ。次打者の送りバントで1死3塁となった時点で、松山商は満塁策をとり、3番の左打者との勝負を選択。ここで、どこからか、監督にこんな言葉が聞こえてきたという。「いまを逃れんと、あとはないぞ」。犠牲フライでもサヨナラ負け。延長戦が続いた場合、新田投手の再登板を考えてライトの守備につけていましたが、このピンチを切り抜けないと試合は終わってしまいます。そこで澤田監督はライトの新田投手に代わって、背番号9、レギュラー番号ながらベンチを温めることの多かった矢野選手を送り出します。その初球。代わったばかりの矢野選手のところに大きなフライが上がる。誰がみても犠牲フライに十分な当たり。熊本工のベンチからはバンザイをしながら飛び出す選手もいる中、矢野選手は思い切って本塁に投げました。「カットマンに投げたら間に合わないと思い、ノーバウンドで投げようと思いっきり投げました。投げた瞬間、ボールが上にいったんでダメかなとも思いましたが、とにかく必死でした」。このとき矢野選手からキャッチャーは見えておらず、カットマンの頭上めがけて思いっきり投げたそうです。本塁に滑り込んでくる3塁走者の星子選手と本塁にまっすぐ向かってくる矢野選手の返球。ボールは山なりだったものの、キャッチャーが構えたミットに吸い込まれるようなダイレクトな返球で、3塁走者はタッチアウト。熊本工サヨナラのチャンスは一瞬にして潰えました。次の11回表、先頭打者は矢野選手。初球のカーブを二塁打して、送りバントのあとのスクイズで勝ち越しのホームイン。その後2点を追加し、11回裏の熊本工の攻撃を無失点で切り抜けて、松山商は優勝しました。矢野選手の送球は「奇跡のバックホーム」と呼ばれましたが、彼は来る日も来る日も監督に怒られながらバックホームの練習をしていたそうで、それまで頑張ってきたご褒美にと神様がくれた、それも高校最後の最高の舞台で、起こるべくして起こった「奇跡」ではないかと思います。またバッティングに関しても、前の試合ではチャンスでの打席で代打を送られており、二塁打は神様の粋な計らいではなかったのでしょうか。試合後に報道陣から「どうしてあの場面で矢野選手を起用したのか」と聞かれて、澤田監督は、そんなことは当たり前だといわんばかりにこう断言したといいます。「信頼です。人一倍努力した矢野の守備には絶対の信頼をおいていました」。この監督の選手に対する深い信頼、監督と選手の深い絆、これぞ高校野球だと思います。ちなみに矢野選手はこの「奇跡のバックホーム」により、読者が選ぶ夢のナインにも選ばれていますが、他のメンバーを見るといかにこのバックホームがインパクトの強いプレーだったかわかっていただけると思います。
 

読者が選ぶ夢のナイン
投 手:松坂大輔、江川卓、桑田真澄
捕 手:香川伸行
一塁手:清原和博
二塁手:小沢章一
三塁手:松井秀喜
遊撃手:立浪和義
外野手:水野雄仁、藤井進、矢野勝嗣

 
  最後に、高校野球の名監督の一人である箕島高校の尾藤監督の言葉を紹介して締めくくりたいと思う。「野球というのは、すばらしいスポーツですよ。球技で、人間が得点するのは野球だけ。サッカーの場合はボール。ラグビーはボールと人の両方。だからこそ、人間くさいドラマが生まれるんです。野球は人生の縮図、社会の縮図ですよ。」
 

平成27年7月15日
医療法人恵徳会 小田代病院
院長 小田代 卓也